40年前に誕生し、気がつけばイタリアの一風景になったFIAT Panda。
実際、街角でカメラのシャッターを押せば、かなりの確率で画面に入っている。
その長靴型半島で出会った5人5通りのPandaの愛し方を紹介しよう。
リッカルドさん(1965年生まれ)は、古都シエナを一望するホテル「イル・ジャルディーノ」のオーナーである。オリーブの木が幾重にも連なる庭には、少し前からマット塗装された初代Pandaが佇むようになった。どうしたんですか、この初代Panda?
「もともとは、友達のもとにあったクルマです。彼のもとでは、イノシシ猟などハンティングの足として使われていました」。イタリアでハンターのクルマといえば、初代のFIAT Panda 4✕4である。しかし、その2002年製のPanda ヤング仕様は2WDであった。以前は、友達の祖父が街乗りに使っていたものだからだ。「そこで、彼はサスペンションをチューニングして最低地上高を上げ、悪路での走破性能を向上させました」。さらに「心だけでもPanda 4✕4にと、ホワイトのボディを日曜大工でモスグリーンに塗り替えてしまったのです」。初代Pandaの特徴であるスチール剥き出しのドア内側が右だけ白いのは、その証拠だ。それも面積のほぼ半分だけ。「塗装の途中でペンキのスプレー缶が切れちゃったのでしょう」とリッカルドさんは笑う。
その彼とリッカルドさんの兄がハンティング仲間だったことから、4年前にPandaを譲り受けた。前述のチューニングのおかげもあるが、リッカルドさんが実際に乗ってみると、2WDと思えぬ走破性能に驚いたという。普段は、近場の用事に重宝している。加えて、リッカルドさんによれば「普段乗っているクーペの機嫌が悪いときも大助かり」なのだそうだ。その広い車内空間も便利なのだろう。筆者の記憶では、キッチンから大量に出るワインの段ボールの集積場代わりになっていたこともあった。かと思えば、ホテルのスタッフが70km近く離れたフィレンツェや、110km以上離れた州境のビーチへと乗って行ってしまったこともあるうという。みんなから、引っ張りだこ状態だ。
サルトの兄が仕立てたという粋なジャケットを着こなしているリッカルドさんとの絶妙なビジュアル的組み合わせも目を引く。常連のお客さんからは、例のボディカラーから「てっきり、イタリア陸軍の車かと思ったよ。(軍用車用である)EIナンバー付けるなよ」と笑われる。リッカルドさんのホテルで、ちょっとしたアイキャッチになりつつある初代パンダだ。
約束の場所で待っていると、2台の初代Pandaが現れた。いずれも「ルルルルル〜」と歌うようなエンジンサウンドを響かせながら。医療機関の職員アンドレアさんは、熱烈なPandaファンである。
「これは1984年のPanda 30Sというバージョン。300km離れたリグーリアの街で、おばあちゃん、娘、そして孫娘の3代にわたって愛用されてきた車なんだ」。走行距離104,000kmだったところを譲ってもらったという。もう1台は1985年Panda 30CL。運転手役を買ってでてくれていたのは、ロベルトさん。毎週末イベントへ一緒に出かける愛好家仲間だ。2台とも搭載されているのは、2気筒652ccエンジンである。「空冷だから振動は水冷より大きく、暖房も弱い。オイルの匂いも気になるよ」。それでも、なぜ空冷Pandaを?「構造が簡単だから故障が少ない。遠出もちょっとしたパーツのストックを載せて出かければ、何が起きても大抵解決してしまうんだ」。今日の車からすると、驚くほどプリミティヴでシンプルな機構が魅力という。アンドレアさんは続ける。「しかし何より、この独特のエンジン音がいいんだよ。むかしの車の音だよね」。30シリーズのパワーユニットは、かの先代FIAT 500からの流用だ。そのエンジン音は長年イタリアで街の音の一部だった。実際、イタリア映画の効果音にもたびたび使われてきた。伝統的サウンドとPandaとのコンビネーションが面白いのだという。
やがて1981年生まれ、つまり初代Panda誕生と1歳違いのアンドレアさんの話は、自身の思い出に及んだ。「母が乗っていたのがPanda 30だったんだよ。赤いボディで、ボクが1歳のときにやってきて、18歳のときまで17年間も家にあった。スピードこそ遅かったけど、室内が驚くほど広くて、いつも家族と一緒だった」。空冷Pandaは、アンドレアさんにとって大切な走るアルバムだったのだ。
「実はもう1台Pandaがあるんだよ」。それは、ガレージでレストアを待つ1995年のPanda ヤング仕様だ。空冷ではないが、ポップな内装色に惹かれて購入したという。こちらもミラノのお年寄りのもとで大切に乗られてきたものだ。さまざまな地域で人々と暮らしてきたPandaが、熱烈ファンのアンドレアさんによって元気に走り続ける。いつか“三姉妹”としてファンイベントにデビューする日も来るだろう。なんと幸せなPandaたちではないか。
イタリアを代表する高級ワイン生産地帯のひとつ、トスカーナ州キャンティ地方。フランチェスコさん(1986年生まれ)は、18世紀初頭に歴史を遡る名門ワイナリー「メリーニ」で品質管理部門の責任者を務めている。
彼の愛車は、2011年製の白いPanda 4✕4。あいにく撮影前日は大雨だったため、ブドウ畑のあちこちに深いぬかるみができていた。にもかかわらず、彼のPanda 4✕4はグングンと進み、ターンしてゆく。泥んこ遊びをしているかのようにも見えるその光景は、なんとも痛快であった。フランチェスコさんには筆者の求めに応じ、何度も車を動かしてもらった。185cmの長身である彼が容易に室内へアクセスするところに、Panda伝統の優れた乗降性をあらためて確認した。フランチェスコさんのFIAT愛は、父親のマッシモさん(1954年生まれ)譲りである。マッシモさんは1970年代、ジェントルマン・ドライバーとして伝説のライトウェイト・スポーツ「X1/9」などを駆って、欧州各地のラリーやツーリングカーレースを荒らしまくった。「FIATのモトーレ(エンジン)は、ひたすらよく回り続けました」とマッシモさんは熱く語る。
そして、フランチェスコさんの職場であるワイン蔵も見せてもらう。「ほら、ぶつぶつと音がするでしょう?」と、4階建ての蔵を歩きながら彼は話す。収穫したばかりのワインが発酵しはじめた音だ。まるで生き物が囁いているようである。「醸造には、コンピューターではすべてを解析できない領域があります」と、フランチェスコさんは語る。名門フィレンツェ大学で醸造学を学んだ彼の言葉だけに重みがある。同時に、数字だけでは到達し得ないゾーンがあるからこそ、ワインの世界は奥深いのだという。
趣味の写真は、同好の士と作品展を開くほどの腕前だ。お気に入りの機材は、父マッシモさんから譲り受けた6✕6判フィルムカメラ「ハッセルブラッド500C/M」。当然のことながらスペックでは今日のデジタルカメラには到底及ばない。だが、その秀逸なメカニズムと描写力から今日でも熱烈な愛好者をもつ名機である。「風景写真の撮影のために、夜明け前から山に向かうこともよくあります。そうしたときも、Panda 4✕4は大活躍です」。フランチェスコさんがPanda 4✕4を愛用しているのには、父親時代からのFIATへの親しみとともに、ワインやフィルムカメラ同様、スペックだけでは語りきれないテイストがあるからに違いない。
現役時代は、飲料卸会社の経営者だったサンドロさん(1949年生まれ)。FIAT車は常に暮らしのなかにあった。「免許を取ってからは、3台も(先代)500を乗り継いだよ」と振り返る。夫人のマルチェッラさんとの出会いは、ダンスホール。サンレモ音楽祭のカンツォーネで踊っていたときだという。「50年前、若者の出会いの場といえば、ダンスホールだったんだ」。まるで、昔のチネマを彷彿とさせる情景だ。
新婚時代は、中古のFIAT 124に乗っていた。イタリアで1974年に生産終了後も、その頑丈さと良好な整備性から姉妹車がロシアで長年造り続けられた。伝説のセダンである。「農家から譲ってもらった車で、内装は埃だらけだったわ。でも、毎年夏にリミニの海で1週間バカンスを過ごすとき、いつもそれで行ったの」と妻のマルチェラさんは回想する。やがて、一人娘のシルヴィアさんが生まれた。「初代Pandaのヤング仕様に乗っていたときもあったな」とサンドロさん。1988年式だったという。「後席はベビーシートを楽らく装着できた。さらに畳むと、恐ろしく広大なラゲッジスペースが出現したものだ」とサンドロさん。
そして今、白いPanda ツインエアがサンドロさんの愛車だ。すでに夫妻は、悠々自適のセカンドライフを満喫している。夏の間は、毎週末70km離れた州内の海岸に繰り出す。秋に楽しむキノコ狩りでPandaは、友達の本格的オフロードカーについて行き、ドンドン森に入ってゆけるという。マルチェッラさんのふるさとコルトーナへの往復170kmのお供も、いつもPandaだ。そうしたライフスタイルを楽しむうち、Pandaの走行距離は5年間で148,000kmを超えた。「燃費が良いのもPandaの美点よ」とマルチェラさんは語る。ちょっとした遠出の燃料代は、10ユーロ(約1200円)札1枚で済むという。
実は、ご夫妻にはPandaで果たす毎朝の“日課”がある。すでに独り暮らしをはじめ、隣町シエナの歴史的旧市街で美容院を営むシルヴィアさんの店を訪問することだ。彼女の仕事が軌道に乗る前、二人で雑用の手伝いに行っていたのがその始まりだった。幸い店に常連客が溢れるようになった今も散歩がてら娘を訪ね、しばし会話を楽しんでから昼前に家路を辿る。ご夫妻のPandaは、親子を繋ぐ役割もしっかり果たしていたのだった。
フィレンツェの南50kmの町チェルタルド。世界史の教科書にも登場する『デカメロン』の作者ジョヴァンニ・ボッカチオゆかりの地である。毎年6月には彼の時代を偲んだ「中世の夕食会」が催されることでも知られる。歴史的旧市街で中世さながらの僅かな光の中、いにしえの食器でメニューを楽しむ人気イベントだ。
日頃は地元で営業職として働くキアラさん(1992年生まれ)も、先に紹介したオーナーたちに負けず劣らずPandaライフが長い。免許を取得してすぐに乗ったのは、母のお下がりだった白の初代Pandaだった。ある日、山の上にある旧市街に向かう用事があった。あいにく当日は、記録的な大雪。「4✕4仕様でもないばかりか、チェーンも装着していないのを見かねた近所のおじいさんが『おいおい、こんな天気の日にどこへ行くんだ!』と声をかけてくれたの。でも、雪道にひるまないPandaをそのまま運転して行っちゃった。しばらくして、私がちゃんと戻ってきたら、彼はホッとした顔をしていたわ」と笑う。その後2代目Pandaを経て、現在の2019年製Panda 1.2に至っている。
日頃は通勤の足として活躍しているPandaだが、パートナーであるアントニオさんの故郷であるナポリまでの旅にも活用している。アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の道)を南に向かってひた走る。往復1000km近い旅だ。「ナポリの市街地では、いつも路上駐車の争奪戦 ! そんなシチュエーションでも、コンパクトなPandaはストレスなく小さなスペースに潜り込めるの」とキアラさんは語る。「帰りは、彼のマンマが息子のために山ほどお土産を持たせてくれるのよ」。地元の野菜、自作の瓶詰めやオリーブオイル、ナポリ名物のリキュール漬けドルチェ「ババ」など溢れんばかりの品を、Pandaの広大なラゲッジルームは、難なく飲み込んでくれるという。
「実は、父も初代のPanda 4✕4のオーナー。ニューヨークのイタリアンレストランで働く兄も、イタリアに戻るとPandaに乗っているわ」と、まさにPanda家族だ。前述のような広い室内、街なかでの取り回しに加え「壊れ知らずのモトーレ(エンジン)も歴代Pandaのチャームポイント」と証言する。「もちろん、他ブランドに乗り継いでゆく人もいるけど、いつのまにかPandaに戻っているのよ!」。
日頃から他者と異なることに自身の価値を見出すイタリア人が、気がつけばPandaと暮らしている。
40周年のバースデーを祝ったこの偉大なる小さなクルマは、まだまだ長靴型半島でストーリーを紡ぎ続けゆくだろう。
Report & photo 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
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