フィアットとNPO法人メイド・イン・ジャパン・プロジェクトが合同で日本の伝統的なモノづくりに新たな光を当てていくプロジェクトも20回目。今回は徳島県に古くから伝わる藍染めをフィーチャーします。コラボレーションのお相手は、20代で藍染めに初めて触れた時に衝撃が走り、心の赴くままに徳島へ移住し、藍染めの世界に飛び込んだ渡邉健太さん。渡邉さんは江戸時代から伝わるこの伝統的な染色法に注力するだけでなく、その原料の栽培に循環型農業を取り入れ、伝統の進化を図っています。その原点となった渡邉さんの藍染めとの出会い。渡邉さんをそこまで魅了した阿波藍の魅力とは、どのようなものだったのでしょうか。その答えを求め、徳島県板野郡の工房へ向かいました。
▲徳島県を流れる吉野川。洪水が起こると上流から栄養分を含んだ土が流域に流れ込み、藍の栽培に適した土壌をもたらす。写真の高瀬橋に欄干がないのも、洪水を想定し水中に沈下した際に抵抗を減らすため。
人にはそれぞれ趣味や情熱を傾けるものがあり、それを趣味として嗜む人もいれば、職業として突き詰めていく人もいます。渡邉さんにとって藍染めは後者、いや、それ以上の存在かもしれません。なにせご自身で染色だけでなく、その原料となる藍を栽培するところから行っています。通常は染料を作る藍師さんと、それを使って染色を行う染師さんに分業するところを、渡邉さんは両役を担っているのです。
▲藍を栽培して染料の元となるスクモを作り、染色から制作まで一貫した工程をこなす藍師・染師の渡邉健太さん。Watanabe’sを率い、4人の仲間と共に工房を運営している。
「東京でサラリーマンをやっていた時、興味本位で都内の藍染め体験に参加したんです。藍染めに初めて触れた時は体内に衝撃が走るのを感じました。まだ20代前半、藍染めの染料が何でできているかさえ知りませんでしたが、体験させてもらった時に、染料の匂いから色の鮮やかさ、目の前で色が変わっていく様子に五感を震わされ、藍の織りなす青の美しさに魅了されてしまったんです。興奮でその日は眠れませんでした。そして数日後にはもう、会社に辞表を出したんです(笑)。それほどまでにこの仕事をしたい、藍に関わりたい、という使命感のようなものに駆られたんですね」
▲渡邉さんは藍染めの経験がなかったことから、3年かけて学ぶことができる「地域おこし協力隊」に参加。師匠につきトライ&エラーを繰り返して藍染めを吸収していった。現在そのキャリアは10年に。
藍染めは、衣服や衣服の材料を染料に浸けて着色する伝統的な染色法ですが、ひとえに藍染といっても、その種類はさまざま。化学染料を使ったものもあれば、天然由来の植物染料を使ったものも。渡邉さんは、伝統的な天然素材を使う染色方法にこだわり、徳島で古くから製造されている蒅(スクモ)という染料を使い、その原料である藍を栽培するところから、製品となる衣服の販売までを一貫して行っています。しかも藍の栽培に循環型農業を取り入れ、養豚場と共同で堆肥作りからすべて担っています。
▲染料となるスクモを発酵させているところ。春に種蒔きした藍を夏に収穫し、葉の部分だけを選別。それを天日干しで乾燥させたのちに、寝床と呼ばれる土間の部屋で発酵させる。定期的に水(と酸素)を与え、4ヶ月発酵させてスクモを仕上げる。このスクモを染料とし、衣類などの様々な製品を生み出す。
そんな渡邉さん率いるWatanabe’s(ワタナベズ)の商品をいくつか見せてもらいました。パッと目に入ったのは、濃い目のブルーに染色されたコーデュロイのジャケット。ブルーとしては濃いめでありながら、かすかな光沢感と艶やかさを含む色合い。濃い青というよりは、深みのある明るい青という表現の方が近いかもしれません。
▲渡邉さんが手がけた商品の一部。色の濃淡は、染色する回数や時間で表現していくという。素材自体も藍染めに相性の良い天然繊維のものを選択。「長く着られるもの、自分が着たいものを作る」をモットーとしている。
「色の鮮やかさと奥行きは、天然藍ならではです。藍の葉を発酵させてスクモを作っていくのですが、葉の中には青以外の成分も入っているので、染め上がった時に青一色だけの平面的な色ではなく、様々な色が層を成して立体的な色に仕上がるのです。色持ちもいいですね。天然の藍染めは繰り返し洗い、使えば使うほど色が鮮やかになっていくんです」と渡邉さん。その藍染めでどんな製品を追求されているのか聞いてみました。
▲染色に使用する液槽。工房にはサイズの異なるいくつもの液槽があり、制作する製品の大きさや求める色合いによりそれらを使い分ける。
「天然藍は色が長く持ちますので、その特性にふさわしい、長く使える丈夫な製品の制作を心掛けています。すぐに色が抜けてしまうようなものではなく、薄くなったとしても染め直して長く着ていけるような服ですね」と渡邉さん。
▲Watanabe’sで渡邉さんと共に製品づくりに携われている加藤さん。写真は染色したものを絞っているところ。
最初に藍染めブランドのBUAISOU(ブアイソウ)を立ち上げ、広くその名を知られるまで発展し、順風満帆に見えましたが、その後渡邉さんはBUAISOUを抜ける道を選択し、現在はWatanabe’sとして活動されています。なぜ自ら立ち上げたブランドから身を引いたのでしょうか?
▲藍師と染師。それらを一貫して行う理由は「純粋に藍色を生み出すまでのあらゆる工程に携わりたかったから。自然を相手にするモノづくりなので、天候や発酵菌など人間のコントロールの及ばないことも多い」という。「すべての工程を一貫して行うことで、予想しなかった事象が起きた時にもその原因を考察し、次の経験に生かすということもできます」と話してくれた。
「畑から色を作っていく、染色まで一貫して行う姿勢は今も一緒なのですが、Watanabe’sでは、できた色に長く残って欲しい、お客さんに長く使って欲しいという、日常に溶け込む色にしたいというのが原点としてあります。最初に立ち上げたBUAISOUの時には、デニムを作ったり、服を作ったりしたいという目標があったのですが、だんだんアートワークを作る方に傾倒してしまいました。せっかく使えば使うほど鮮やかになっていく色なので、普段からどんどん使ってもらいたいという気持ちが強くなっていったというのがひとつ。もうひとつは、所帯が大きくなつにつれ、自分が現場からどんどん離れて、監督業をやるようになっていました。でも畑の様子や土の様子をやっぱりこの目で見たいし、今年の藍がどのように育ったかというのも見守りたい。プレーヤーとして全部にしっかり携わりたいという想いが強くあったので、もう一度自分でやろうと思いました。自分の抱えられる、すべてに目の行き届く範囲で。藍への思いや、こういうモノづくりがしたいという、自分の気持ちにもっと素直でいられる。そういう環境でもう一度やりたいと思うようになったんです」と、その気持ちを話してくれました。
▲色を表現するということをさらに突き詰めたいと話す渡邉さん。
今回のフィアットとのコラボレーションでは、どのような製品ができましたか?
「ジャケットとTシャツ、バンダナ、ハット。上半身コーディネートです。フィアットには、洗練されたイメージでありながら、可愛いらしさを感じていましたので、ガチにかっこいい方に振るのではなく、もともと王道としてあるものに何か差し色を加えることで、可愛らしさもありつつ洗練された雰囲気を目指しました」と渡邉さん。
▲Watanabe’sのこだわりが詰まった製品をベースにFIATのロゴ(背)や藍の花(前)の刺繍が施されたオリジナルのコーデュロイジャケット。
「さらに今までやったことのないことをやってみようと思いチャレンジさせてもらいました。色染めをして生地を織るというところまでやってきて、今回、新たに製品に刺繍を施しました。色糸を藍で染め、細かな濃淡の表現や、刺繍糸ならではの光沢を組み合わせたことによって、表情豊かな製品に仕上がったと思います」
▲ハットとTシャツにも染色した糸でFIATロゴが刺繍されている。バンダナには「藍」と「FIAT」の文字が施されている。
こうして出来上がったWatanabe’sとのコラボ作品、フィアットオリジナル藍染めアウトフィットのお披露目会が、徳島県立阿波十郎兵衛屋敷で行われました。お披露目会には、渡邉さんのほか、イーストとくしま観光推進機構協議会の会長で、藍産業振興協会顧問も務めていらっしゃる田村耕一さんがご登壇。東京のスタジオのFCAジャパン マーケティング本部長のティツィアナ・アランプレセとオンラインで繋ぎ、トークショーを行いました。
▲徳島県立阿波十郎兵衛屋敷で行われたお披露目会の模様。
トークショーでは、初めにアランプレセがごあいさつ。
「私たちフィアットでは、日本の文化と交流し、心を通わせたいという思いからこのプロジェクトを立ち上げました。日本のモノづくりの文化やそこから生み出される、職人さんの魂の込められた製品に光をあてる取り組みです。今回は長い歴史を持つ徳島の藍染めとのコラボにより美しいオリジナルの作品が完成し、とても満足しています」
▲左から渡邉健太さん、イーストとくしま観光推進機構協議会会長の田村耕一さん(中央)、FCAジャパン マーケティング本部長のティツィアナ・アランプレセ(右)。
次に田村さんが徳島の阿波藍の起源や歴史を紹介してくださいました。
「徳島は藍で栄えた土地です。(中略)。江戸時代に徳島の殿様も藍を推奨し、県内に多くの藍職人が登場しました。その結果、藍商人が経済力を蓄えたこともあり、徳島で様々な文化が栄えました。阿波踊りや人形浄瑠璃もそうです。また徳島では染料の元となるスクモを作っていますが、これを求めて全国からたくさんの商人が訪れ、料亭文化なども花開きました。その後、阿波藍は外国産の安価な藍や化学染料に押されることとなりましたが、最近、天然藍の素晴らしさが世界でも認められて広がってきています。徳島県で全体の6割以上の藍を生産されていて、とりわけスクモはほとんどが徳島で作られ、全国に流通しています。徳島は藍の故郷なのです」
▲徳島県立阿波十郎兵衛屋敷では日々、人形浄瑠璃が開催されている。「500X」の前で人形と一緒に記念撮影をさせていただいた。
続いては渡邉さんが次のようにコメント。
「自分は藍師と染師。その両方をすることではじめて色にすべて携わっている感覚になれると思い、一貫してやるスタイルをとっていますが、相手は自然。発酵菌だったり、畑においては天候だったり、日々状況や環境が変わるものを相手にしています。人間の力が及ぶ部分は少ないと日々感じていますが、そこに寄り添いながら、日々色作りを模索しています。染料が酸化して出てくる淡色の美しさ、そうした工程をぜひ皆さんに知っていただき、興味を持っていただけたら嬉しいです」
これを受けてアランプレセは渡邉さんの作ったジャケットを着用し、次のように述べました。
「色も美しいし、グラデーションの合わせ方やロゴの作りまで素敵なタッチで、本当にファッショナブルだと思います。藍のデザインも超かわいい。すばらしい作品だと思います!」
▲さっそく完成したジャケットやハットを着用し、登場したアランプレセ。
最後にそれぞれが今後のビジョンについて話しました。
田村さん「かつて日本文学研究者のドナルド・キーンさんが太平洋戦争の後に徳島を訪れ、徳島は世界初の藍色の街になったらいいのではないかとコラムに記しました。地元の徳島としても、もっと藍を広め、藍色の街に近づけるような取り組みをしていきたいと思います」
渡邉さん「自分が取り組んでいる藍の色は、自分だけが作っているものではなく、地域の方々をはじめ様々な人との関わり、目に見えない発酵菌、天候など、様々な要素が絡み合ってできています。また地域の関わる人々の中でも循環によりいい成果が生まれている部分もあるのです。そういう思いをしっかりつないでいくことで、いい色に昇華される部分もありますし、人に伝えられることもあると思います。これからも循環型のモノづくりを続けつつ、僕自身が最初に感じたような色の感動を、様々な人たちに届けられるようにコツコツと頑張っていきたいと思います」
アランプレセ「新しいクルマを作るには、たくさんの人が関わり力を合わせる必要があります。コミュニティを作るのもハードな仕事です。伝統工芸に携わる職人さんの仕事も同様です。いま私たちは皆がワンチームになり、自然を守る取り組みをしなければなりません。これから生活を続けるためには、皆が自然に想いを馳せ、サステイナブルな環境を作り上げていくことが大事だと思います」
こうしてお披露目会は無事に幕を閉じました。徳島県の皆さま、ご参加された方々、ご視聴いただいた皆さま、ありがとうございました!
写真 小林俊樹
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