


美術史における未来派(フトゥリズモ)とは、1909年にイタリアの詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティがフランス紙に掲載した「未来派宣言」が始まりである。過去の芸術的価値との訣別が謳われたそれに、ウンベルト・ボッチョーニ、ジャコモ・バッラ、ジーノ・セヴェリーニといった芸術家が賛同した。
未来派が近代美術史においていかに重要であるかを物語るのは、今日流通しているユーロ硬貨のイタリア版だろう。1ユーロのダ・ヴィンチ《ウィトルウィウス的人体図》や10ユーロセントのボッティチェッリ《ヴィーナスの誕生》とともに、20ユーロセントにはボッチョーニの代表的彫刻《空間における連続性の唯一の形態》(1913年)が刻印されている。
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未来派作家たちは戦闘的であると同時に、機関車、航空機など機械を惜しみなく礼賛しモティーフに取り込んでゆく。その傍らで、彼らは応用美術にも挑戦した。今日も販売されている食前酒「カンパリ・ソーダ」の円錐形の瓶は、未来派アーティストの一人、フォルトゥナート・デペーロによる1932年の作である。その精神は第二次大戦後も形を変えてさまざまな場で引き継がれた。一例としてセヴェリーニは、故郷であるイタリア中部コルトーナで、山頂に至る教会へ至る道に数々のモザイク画を残している。



時代は戻るが、未来派は自動車にも早くから注目していた。「未来派宣言」の4節では「機銃掃射の上を走るがごとく咆哮をあげる車は《サモトラケのニケ(筆者注: ギリシアで発見された女神の彫像》より美しいのだ」と賞賛している。そうした彼らの創作意欲を、FIATのプロダクトが刺激したのはたしかだ。1899年に創業したFIATは、その名(Fabbrica Italiana Automobili Torino トリノ・イタリア自動車製作所)のとおり自動車が出発点だ。だが、20世紀に入って間もなく、船舶エンジン、航空機、鉄道と領域を急激に拡大していった。同時にトリノは、1931年に「未来派食堂」ができるなど、未来派の活動拠点のひとつであった。マリネッティは1924年、前年に落成したばかりのFIATリンゴット工場を訪問。優雅かつ機能的なスロープと屋上テストコースを備えるその建築物を、後年「第一級の未来派的発明」と評している。
未来派とFIATの接点といえば、FIATの広告には未来派の影響がみられるものが数々存在する。たとえばジュゼッペ・リッコバルディ・デル・バヴァは、未来派の香りをふんだんに漂わせるポスターをFIATに数多く残し、今日も応用芸術の歴史において高く評価されている。また今日、歴史的建築物となったリンゴット工場に併設されたFIAT元名誉会長ジョヴァンニ・アニェッリの絵画館には、未来派を象徴するバッラ作《抽象的な速度》 (1913年)と、セヴェリーニ作《ギャロップのイタリア人騎手》(1915年)が収蔵され、美術ファンの目を楽しませている。
かくもFIATと未来派は、糾える縄のごとく歴史を紡いできた。同時に、FIATは世界で「最も20世紀アートに近いブランド」のひとつといっても過言ではなかろう。

